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コツコツ続ける

山岳写真家でもあり、給与所得者でもある私にとって山の写真を撮り続けること、しかもコツコツとそれはあたかも一歩一歩山道を登るかのごとく、は大切なことだ。

 

自分には、山岳写真家として食べていくだけの能力や技術、経験や自信がないことは常々周囲に述べているところだ。第三者から見れば「ハンパ者」だし、「不甲斐ない者」だろう。

しかし、私はその「ハンパ者」でよいと思っている。何ら見通しもなく独立したところで家族で路頭に迷う生活をすることもできない。ただ、山岳写真家として人生を全うできるのか不安を抱いている。

 

多くの写真家あるいは芸術家は人生を賭けて被写体そして自身に向き合っている。もちろん普段はそのような素振りを見せることもないが、作品や会話、所作から感じてしまうし、それはまるで修行者のようにも思えることもある。

そのような人物を何人も知っていて、そのような方々に近づきたいと思いつつも無理もできないし、今さら家族を置き去りにすることもできない。長い間このような葛藤を抱えていると、世間では副業を認める風潮になり、またDEIといった多様性、包容性を認めるようになって、私にとっては追い風ではあるけれども、専業の写真家に比べれば、自分の写真に主張やスタイル(あるいは特徴や個性ともいう)がないように感じてしまう。

 

唯一の救いは、師匠が同じスタイルで長年山岳写真家としての活動を続けていて、山岳写真界では知られた人物であるということだ。しかし、世間一般の山岳写真家としての知名度、例えば、故白簱史朗氏や故白川義員氏などがあるわけではない。ではどのような山岳写真家像を目指しているのか?尺度は知名度か?作品の芸術性か?自分の写真のスタイルか?などを考えていると私にとっての山岳写真家のリアルな姿がますます遠のいてしまう。ある時、故白籏先生の記事で自身がカメラを持ち自分の意思で山を撮ったらみんな山岳写真家だという趣旨の記事を読んで救われた気持ちになった記憶がある。このような受け入れやすい気持ちになることも大切なのだろう。

 

自分が山岳写真家として活動できる期間は75歳まで(今から22年)と考えている。尊敬する故田淵行男先生は40代後半でデビューし、晩年まで山岳写真撮影をしている。75歳以降、高山帯で撮影活動することは健康面や体力面で難しい。もちろん、この間に事故や病気になればその時点で人生のポートフォリオを見直すことになる。人生100年時代と言われていて将来展望は変わるかもしれないが、この期間に自分が何をどうやってするのか考えないと散漫な活動をすることになるだろう。人によって22年が長いか短いが変わるが私にとっては意外と少ないという実感だ。5年おきに写真展を開催するとして4回しかできないし、毎年1回しか行けない山であれば22回しか行けない計算になる。

 

このような胸中で自分ができることは何か考えると、やはりそれは、今まで通り機会を捉え、狙いを定め(集中するときには集中することもある。)山に出かけ、コツコツと山岳写真を撮り続けることにほかならない。野球を例にすると、毎回ホームランを打つことはできないが、毎日素振りと練習を続け、空振りは多いのだけれども時々ヒットを打てる。そんな選手でありたいと思う。

 

つまり、結論は「ハンパ者」を続けることに変わりはないのだが、時々、山岳雑誌で写真を使ってもらい、個展や会員展で写真や山小屋で絵はがきを買ってもらったりとそのような活動を続けていくのだろう。しかし、山岳写真の素晴らしさや撮影の面白さを伝えたり(既に実施しているものもあるが規模の大きなものを実施したいということ)、未来ある若者や子供たちにカメラや山岳写真の面白さを伝えたり、世間をあっと言わせるような写真やアーカイブされるような写真を撮りたい。

 

そんな小物の山岳写真家がいても世間や家族に迷惑をかけることもないし、社会に受け入れてもらいたいと思う。最終的には、世間の評価はともかく山岳写真家として自分がどれだけ納得できる人生を送ったかなのだろう。