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撮影行は収支だけが基準ではない

山岳雑誌の記事で時々下山後の立ち寄り山麓情報を求められることがある。

 

今回もある記事の依頼で、いつも立ち寄っている「金精軒」や「七賢」のある台ヶ原付近を紹介しようと思って、3年ほどの写真を検索したが1枚もない(晩夏や秋ごろの写真のこと。)ことが分かった。不安になり、10年ほど遡ってみたが、とうとう見つからなかった。考えた挙句締め切りまで日があるので、山梨に向かうことにした。

 

今回の依頼の収支だけを見れば、当然、赤字となる。実は他に解決方法があることを承知しているが、自分への反省と授業料という意味を込めてあえて訪問することにした。

 

反省点は、2つある。第一は山で自分の納得する写真を撮ることだけに満足していて、顧客である出版社のニーズを考えたり、予想していなかったことだ。単に山岳写真家と名乗るだけならばそれでよいが、プロならば顧客のニーズにきちんと応えることは必定だ。これはサラリーマンでもある小職がいつも会社から期待されていることに他ならない。そのように考えると自分に対して腹立たしさと失望感を覚えた。

 

第二は、師匠から過去に言われていたことをきちんと理解できていなかったことだ。昔、真冬の上高地からの帰りの特急あずさの中で、山麓の立ち寄り場所の紹介ができなかった失敗談を聞いた記憶があった。なるべく立ち寄り場所の写真も撮るとよい趣旨のことを述べていた。

どうしてそれを覚えているのかというと、当時の私は、山で(自分が出会った感動的な)写真を撮れていれば良いとしか考えておらず違和感を覚えていたからだ。師匠も同じような経験をしていたのかなとも感じた。

 

しかし、嬉しいこともあった。この日は「中山」を再び訪ね、施工後数ヶ月経過した近自然工法の登山道を確認したり、何度も訪ねているが、これまた私にとって写真が少ない中山砦の写真を撮ることができた。また、堀内さんや尊敬する登山家花谷さんとそのご家族と対話することができた。山のことや地元で山関係の仕事をしている方と話せたこと、これは望外の喜びであった。

 

今回の撮影行は、心理的に往きは辛いものだったが、帰りは心和やかであった。それは、出版社のニーズに応えられる写真を撮れたからなのかもしれないが、機会ある度にフィールドや山の地元に行くことの大切さを改めて知ったように思う。