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山と渓谷8月号 ルポ記事など

 

山と渓谷8月号に4つのトピックに写真と記事を提供した。

・特集グラフ(巻中)「大いなる山並み」

・広河原今昔ものがたり

・南アルプスの画になる風景を探して

・山小屋名鑑

「広河原今昔ものがたり」のルポ記事は、誌面には登場しないがが、元北岳山荘の猪俣健之介さんをはじめ芦安山岳館スタッフの協力、芦安ファンクラブの清水基夫さんのコメントがなければ作成不可能な記事だった。本当にありがたい支援であった。

 

特に、中村儀助氏が江戸城改修のため広河原から大量の木材を搬出した年号については1835年(天保6年)説と1837年(天保8年)説がある。

 

日本山岳会の(故)山村正光氏によると1980年8月号の山と渓谷で、「中村儀助氏の墓には天保6年に亡くなる旨刻まれているが、儀助と同郷の今井徹郎氏「山は生きる」(昭和7年6月出版)では、中村儀助の覚書という手記があり、その中には天保7年に甲府に入り、天保8年に広河原に着く旨記述があると記されている。一方、「儀助の墓は、広河原周辺の儀助島にあったようで今は流されてしまい墓石はない。芦安村の光明寺にある森本氏の墓地内にある小さな墓石には儀助が天保6年に亡くなった。」旨記されている。さらに、文献を探すと元芦安村村長の深沢政輝氏「芦安村のあれこれ」では、儀助が天保8年に木材を運搬した経緯を詳細に記述していて、聞くところによると村長自ら儀助の故郷を訪ねて調べ上げたようだ。

清水さんのコメントを受け痛感したのは、歴史を語るには誰かの見解に頼らざるを得ない。そんな難しさもあらためて感じるところだった。

 

山と渓谷では初めての経験でもあり、前述の協力してくれた方々に記事の出来に不安を語ると皆一様に全国紙に芦安を紹介してくれることが一番嬉しい、それだけでも感謝したい旨述べとても励みになった。これは私の写真家としての信条である山の地元への貢献に一番当てはまり、とてもいい心地であった。

 

広河原山荘の佐野さんはサラリーマンとして山に関わる姿にとても親近感を感じていて、年齢も私と近いこともあり素直に応援したくなる。ただし、山荘運営の経験はないので、周囲の山荘関係者、山岳関係者から情報提供のほか力を借りたいと謙虚だ。普段はスポーツマンで休日はトレランなどをして過ごしているようだ。

今回、最後まで気になったのは塩沢顕慈さんだ。昨年、指定管理人に申請することや市に山荘の設計や内装に具申をしていたと意気込んいたのをよく覚えている。最近SNSで元気になった旨投稿を見たのであらためて連絡したいところだ。

 

「画になる風景を探して」は、急遽私も山岳写真を提供することになった。当初、日本山岳写真協会山梨支部の活性化に役立てばと思いこの企画を編集部に提案し、支部長の福島さんに支部の方々からの作品の提供を依頼するつもりだった。しかし、福島さんから、会員の高齢化や南アルプスの山に深く入って撮影している写真家も減り、今後入会者を増やし、育てていくことが課題と厳しい実情を聞いた。山岳写真に限らず、一部の活況ある写真の会を除けばどこも同じ問題を抱えている。山岳写真文化のみならず写真文化の後世への継承は全国的に喫緊の課題であることを改めて感じた。こちらも南ア地元の日本山岳写真協会山梨支部への支援になると信じている。

 

最後に、特集には、南アの地形の成り立ち、薄々知っていた「馬の背ヒュッテ」の再開など記事にしてもらいたいことは複数あったが、自分の企画力と調査力のなさを痛感するところでもあった。

 

 

何はともあれ、4月から5月中旬まで不眠不休が続き、産みの苦しみを味わったので、出版されとても感慨深いものがある。このグリーンシーズンに南アに登山者が増えてくれることを願いたい。