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伊藤哲哉写真展「SEASONS〜北岳〜」を終えて

クリスマス・シーズンの中、また新型コロナ禍の中、写真展にお越しいただいた皆様には本当に感謝いたします。

 

今回の写真展で最も影響を受けたことは、アートディレクションの重要性です。役割分担により写真家は、作品の創作性、芸術性にフォーカスすればよく、壁面、写真のディスプレイまた写真選定もアートディレクションに任せることができれば、必然的に写真展の質も向上します。ただし、最終責任は主催者である写真家に責任があることは言うまでもありません。

 

従来、山岳写真家の諸先輩から、自分で写真を選定し、写真の大きさを決め、展示順などラボから納品された写真をどうディスプレイするかも写真家の腕の見せ所だという趣旨のことを聞いていて、現役サラリーマンでもある小生にとって、写真展はとても先の長く高い壁のように思えました。この先の長く高い壁が自分の手の届く範囲になったことにとても意味がありました。

 

訪問客数は、新型コロナ禍の影響もあり、かなり少なかったのですが、お客様一人一人と対話ができ、目指す写真家像を実現できたように思います。

 

お客様から学んだことも多数あります。最も大事なことはお客様に支えられたということです。新型コロナ禍でお客様が訪ねてくれるのかとても不安でした。知己の方のみならず新規のお客様が訪ねてくれることで自信にもなりましたし、写真展の喜びを味わうこともできました。

 

また、肌で感じたことの一つに写真から受け取るお客様の印象や気持ちが千差万別であることです。何でも回答できるように写真のデータなど細かい説明を要するお客様を念頭に用意周到に説明資料を準備し、一つ一つの作品に統一的な解釈や印象を持たせるつもりでしたが、むしろ聞き役に回り、お客様がどんな印象を感じたか聞いた方が対話にも広がりができ、今後の自分の創作性や活動にも大きな影響を与えるという考えに変わりました。要は、テーマに対してOpenな行動や考えがお客様を受け入れやすいということです。

 

写真選定にも同じ軸があったように思います。私としては苦労して撮影した作品の一部が展示されないことの一抹の不満はありました。アートディレクターは、どうしても展示してほしいものがあったら具申してほしいと気遣ってくれましたが、作品展示のストーリーが見えていて、そのストーリーを壊して再構築するプロセスに意味を見出すことができなかったのも正直な印象です。

手練れの写真家であれば、アートディレクターとの間で時間の許す限りやりとりをするはずでしょうが、この点、小職の写真家としての未熟さを痛感せざるを得ませんでしたし、それを語るとしても作品の訴求力や円熟性に欠けていました。返す刀がなかったという点が今後の課題でもあります。

一方で、展示という観点から写真家の主観性が排除されて客観性が確保され顧客に寄り添う並びになることもあらかじめ理解しており、アートディレクターに全幅の信頼を置いていました。委託しているという観点からも、相互の時間と労力を節約でき、品質の確保に効果があったように思います。

 

お客様の多くは山に通い、あるいは山岳写真を撮影してきたベテランが多いのも事実ですが、こちらをばかり意識していると新しい人は訪れないし、訪れたとしても関心を持ってもらえません。ベテランと新しい人の間の知識や関心の差が大きいのも実情です。新しい人が訪れず、関心を持ってもらえないとその分野は衰退してしまいます。自分にとっては、ベテランにも応えられ、かつ新しい人にも受け入れられるという矛盾を抱えるとても不安な胸中でしたが、山岳写真界の現状を踏まえると今後は顧客目線で物事を理解してもらうことが重要であることを改めて実感する写真展でもありました。

 

何はともあれ、無事に終わりほっとしているのが正直なところです。

新型コロナが蔓延している中での開催には賛否の意見があるはずです。何度も開催できるものではないから慎重に考えるべきだという見解も相当と思いますが、一方で、いつ新型コロナ禍が終焉を迎えるか出口が見えない中、最適な開催時期を見出すのも困難です。不確実で困難な状況では、現状できる最善のベストを尽くし、次のステップを目指すことが望ましいはずです。現状維持を長く継続できればよいのでしょうが、大きな病気をせず、事故がない前提で山岳写真家としての私の寿命もあと約25年と考えています。時間は止まってくれないので、できる限り自分の時間を山岳写真に費やしていこうと思います。また、新型コロナ禍で写真展を開催するする写真家の気持ちも理解できました。難しい環境ではありますが少しでも多く、写真展に通うことに努めます。